目指せ☆脱・会社員

26歳独身女性・大手企業の営業職2年目。

北条かやさんの炎上に見る、「アカデミック」への世間の理解

http://togetter.com/li/956448


北条かやさんのTwitterでの「炎上」について目にした。


まず前提として、私自身は作家として雨宮さんのファンであり、「女子をこじらせて」は大変共感を覚えた。

一方で、アカデミック色の強い大学生活を送って来た私にとって、北条さんの主張も分かる部分もある。


この件に触れて何より私が感じたのは、

北条さんは「研究者」「大学という組織にいた人」であり、

雨宮さん・久保さんは「作家」「独立した人」であること。

両者においては価値観、もっと言うのであれば「ルール」がまったく違うということだ。


北条さんの「こじらせ女子の日常」を読んで受けた印象は、「エッセイというより論文ぽいなあ」だった。


私が大学での研究生活を通じて学んだ、

研究論文のお作法をざっくり示すとこんな感じだ。


・客観的な事実の積み重ね9割、その上で自分の主張が1割

・自身の感情や、道徳的な配慮よりも、客観的な事実が大事。どんなにエゲツなくとも、事実は事実。

・あいまいな表現や、造語に近いものは、定義が必要。また、他者の著作物から同じ言葉を引っ張ってくることは、引用元を明示すればOK


研究者の間では、少なからずルールとして共通認識があるだろう。

分析の甘さを指摘されること、主張に意を唱えられることは大いにあり得るが、

そこはあくまで客観的な事実に基づいた指摘であるべきであり、感情論に基づいた指摘や批判はは「ルール違反」と見なされるのである。


ただし、これはあくまで「研究の世界に身を置く者」同士だからこそ通用するルール。


じゃあ、北条さんはどうなのかと言うと、

SNSという媒体を使い、「エッセイ」という形式を取った以上は、アカデミックの世界を飛び出し、「作家」の世界と見なされてしまうのだろう。


そして、作家には作家の世界のルールやモラルがきっとあり、(私には分からない世界だけれども…)北条さんも少なからずそのルールに従わなければならなかったのだろう。

雨宮さんや中村さんの主張は、きっと正当なものなのだろう。


「若くてかわいい、京大院卒の才色兼備な女性が、キャバ嬢という奇抜なテーマを扱っている」という目新しさと話題性ゆえに、

本来地味なアカデミックの世界から、世間の表舞台に引きずり出された人。

北条さんに対する私のイメージだ。


本人の発言や振る舞いよりも、論文=研究成果そのものが評価される世界に身を置いてきた人にとって、

まったく別世界のルールにすぐ順応できるのだろうか?


私自身も、企業という大きな組織に放り込まれた時、作法の違いに大いに戸惑ったし、未だに馴染めていない。

それでも、教育体制がしっかりしていたのと、フォローしてくれる周りの人のお陰で、なんとか今日までやってきた。


それに対して、北条さんの場合は、研修などある筈もない。

そして、モラルを持った編集者にも恵まれなかったようだ。

これまでとルールのまったく違う世界に引きずり出されて、誰もそれを助けてくれない。


そんな立場で、担当編集者にモノが言えるだろうか?

覚悟を持つ以前に、気づいたら舞台に立たされていたのではなかろうか?


SNSでの北条さんの発言には、

確かに「配慮」や「謙虚さ」が欠けていたかもしれない。

ペンを持った以上、急に表舞台に立たされてとしても、プロであることに変わりはない。批判されても仕方ない。それも確かだろう。


北新地の件で少なからず傷つけられた人がいること、雨宮さんの気持ちも正当なものだと思う。


「上手くやる」って難しい。